[3]推理
「それじゃあ、香奈は何にも分からないのか?」
時刻は昼過ぎ。香奈はリビングで蓮に状況を説明していた。といっても、彼女自身状況を把握できているわけではなく、二人で推理ゲームでもやっているような雰囲気だ。
「うん。あの事件があった日から今日までの記憶は全然ないんだ。気付いたら蓮が隣で寝てたから、とりあえず声をかけてみたの」
蓮は口に手を当てて、ぶつぶつと呟きながら考え込んだ。
「ってことは……香奈は一度……でもそれは……まさか……事実ここに……やっぱり……あれは……つまり……そんな……うん……それしか……納得が……」
「ちょっと」
香奈の不満げな声にはっ、と顔を上げる。
「ああ、ごめん。なに?」
「なに? じゃないわよ。一人で考えてないであたしにもちゃんと説明してよ。今一番悩んでるのは私自身なんだからね」
言いながらふよふよと天井のあたりに浮かんでる姿は、どう贔屓目に見ても悩んでるようには見えなが、蓮はあえて触れなかった。長年の付き合いで彼女の性格は分かっていたし、物事を深く考えすぎる気のある蓮にとってはそれが彼女の魅力でもあったからだ。
「……まぁ、とにかく香奈が幽霊って事は確かだよな」
空中でなぜか背泳ぎを始めていた香奈の動きがピタリ、と止まった。
「私……幽霊なの?」
真顔で聞き返す香奈に、今度は蓮の体が固まった。しばらく無言で見詰め合う。二人の目は、全く違う意味で『信じられない』と言い合っていた。そして、ほぼ同時に二人の口から言葉が飛び出す。
「「なんで?」」
またしても一瞬の間。
「幽霊……幽霊ですって? このあたしが? ってことはなに? あたし死んだの? 嘘でしょ!? まだ十七なのよ!? まだまだ人生これからなのよ!? 大学入ってたっぷり遊んで就職して結婚して寿退社で子供生んでとにかくいっぱいやりたいことあったのにぃ!!」
一方蓮も、
「お前さっきからずっと浮いてるじゃん! それに体だって透けてるだろ! そもそもお前さっき『あの事件』って言ってたじゃん! 普通気付くだろっつーかお前今までなんだと思ってたんだよ!?」
二人揃って軽くパニックになる。それから数十分して、ようやく二人は落ち着きを取り戻した。向かい合ってソファーに座る。香奈は、色白の細い腕を組んでうーむ、と唸り眉間に皺を寄せた。
「どうやら私が幽霊っていうのは本当みたいね。それにしても……なんで私が幽霊なんかになっちゃったのかしら?」
「そりゃあ、この世に未練があるからだろ。さっきいろいろ言ってたじゃないか」
香奈は大袈裟な身振りで蓮の意見を否定した。
「その程度の未練で幽霊になるんならこの世はとっくに幽霊だらけよ。何かもっと他の原因があるはずだわ」
拳を固めて力説する香奈。しかし、今まで幽霊の存在などこれっぽっちも信じていなかった蓮は、半ば投げ遣りになっている。
「じゃあいるんじゃないか? きっと見えないから分からないだけさ」
「そういえば、なんで蓮は私の事が見えるの?」
ふと、香奈が小首を傾げて問いかける。
「幽霊は普通の人には見えないものでしょう? まさか蓮、実は霊能者だったりするわけ?」
多分に期待の込められた目で詰め寄る。蓮はまさか、と首を振った。
「香奈だって知ってるだろ、今の今まで幽霊なんかこれっぽっちも信じてなかったんだ。俺が霊能者なわけないじゃないか」
香奈はあからさまに落胆し、溜息を吐いた。
「だよねぇ……でも、私っていう霊が見えてるのは事実なんだし、ひょっとしたらこの数日で見えるようになったのかも!」
「だから見えないって。そういう香奈こそ、他の幽霊とか見えないのかよ?」
言われて、香奈はえーっとなどと呟きながら辺りを見回す。
「……隊長! 周囲に異常はありません!」
香奈は姿勢を正し、蓮に向かって敬礼してみせる。
「見えないのか……となると俺と香奈にだけ特別な繋がりみたいなものがあるのか……?」
蓮の言葉を聞いて、香奈の顔には瞬時に満面の笑みが浮かんだ。香奈は蓮の腕に抱きつくと(実際は擦り抜けるのでフリだけだが)、蓮の顔を見上げながら急にはしゃぎだした。
「ね、ね、それって、赤い糸ってやつだよ!? きっとそう!」
香奈は顔に手を当てて照れながらも、ちらちらと指の間から蓮の顔を伺っている。
「なっ……ばか、少しは真面目に考えろ」
「も〜、嬉しいくせに〜〜」
肘で蓮の脇をつつく。実際、蓮の顔は少々赤らんでおり、そっけない態度も照れ隠し以外の何物にも見えなかった。
「と、とにかく、このまま家の中にいてもしかたない。ちょっと外に出てみよう。もしかしたら他の幽霊が見つかるかも知れないからな」
そう言いうと、蓮は外出の準備のために二階の自室へと上がっていった。一人になったリビングでポツリ、と香奈は呟く。
「幽霊、か……」
溜め息を一つ、じっと手を見る。青白い肌の向こうには部屋の景色が透けて見えた。
「まったく、無神経なんだから……そこまでハッキリ言うことないじゃない。」
自分が死んだことなど初めからわかっていた。にもかかわらず、香奈は無意識に事実を否定し、拒絶していた。それは、ある意味では正しい。現実から逃避することで、心の平穏が保たれることもある。だが、所詮それも一時だけだ。長引けば長引くほど、現実を受け入れられなくなってしまう。蓮の何気ない一言で、香奈はあっさりと現実へと引き戻された。結果として蓮が香奈を助けたのだ。たとえ蓮にそのつもりが無かったとしても、その事実は香奈の心に深く刻み込まれた。
「香奈、準備できたよ」
蓮が待っている。香奈は、明るい返事と共に玄関へと飛んでいった。
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