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「これで大丈夫だろ」
 光影がもと来た廊下をダッシュで引き返していくのを眺めて、雫が溢した。
「よかったの?彼、未覚醒ではあったけど、筋がいいからそれなりに戦力になったわよ?」
「なんだかよくない予感がする。この先は素人の一筋縄じゃあどうにも出来ないだろ」
「それは『閃き』のせい?」
 なんだかんだ言って光影のことを心配しているのが分かり、楓は少し意地の悪い微笑を浮かべながら尋ねた。
「勘だ」
 それをさも心外と言うように、雫がぶっきらぼうに答える。
「勘、ねぇ。まぁいいわ」
 予想していた答えに楓はまたほくそえんだが、これ以上素直じゃない雫の態度を追及しても仕方がないことが分かっているのか、それ以上は何も言わず頭を軽く振り、気を取り直して真剣な表情を浮かべた。
「それじゃあ、いくわよ。―――双頭の鷲の騎士団(イーグル・クレスト)」
 体の奥底の根底、そこから湧き出る緑のイメージ。溢れんばかりの緑が翼の形を形成する。その羽を一枚取り出し、漠然たるイメージの中に指向性を持たせる。すると、羽は空気の流れに逆らう動きを見せながら舞い始め、空中で二、三回漂うような動きの後、緑の筋を残してまっすぐ飛んでいった。間髪入れず、その跡を雫と楓は早足で追いかけていた。
羽は階段の踊り場や渡り廊下の前で一瞬迷うように止まるが、またすぐに飛んで行く。それを二人は見失わないよう、下校していく生徒の隙間を縫って追いかけていた。追いかけていると、羽はどんどん上の階に上ってゆき、途中渡り廊下で隣の部活棟に入っていった。部活棟というのはそれ専用の特別教室を持たない文化部のための部室が集まっている棟であり、
放課後の今はいろんな部が活動していた。羽は文化部の部室と歴史研究会の部室の間にある壁のところで止まり、すっと消えた。
「ここか?壁しかないぞ?」
 生徒の合間を縫ってきたとは言え、それでもかなりのスピードで走っていた二人は呼吸一つ乱さずにその前の廊下に立ち止まった。
「確かに完璧な偽装ね。普通の能力者でも見逃すところだわ」
 そう言って、楓は得意そうな顔になった。
「まぁ、私の『風』は誤魔化せないけどね」
 楓の風の能力とは空気を媒体として、周りの情報を得ることができるものだが、つまり空気がある場所なら
その様子は楓に伝えられ、その索敵範囲はほぼ全地球をカバーすることが出来るといっていい。
楓は目の前の壁を指でなぞり、周りに視線を走らせた後、雫に振り向いた。
「行くわよ?準備はいい?」
「おう。やってくれ」
「まずは人払いね」
 周りにはあまり人がいなかったが、それでも用心の為に仕事前には人払いをするのが彼らのルールだった。
能力を使ってもそれを持たない一般人には見えない、しかし、光影のように偶然なんらかの要因によってそれが見えてしまう。
一般人も中にはいるのだ。そういった人を巻き込まないための措置とも言えよう。楓は手帳の中に挟んでいた札を一枚取り出すと、廊下の反対側の窓に貼り付けた。この札はジョージの能力が込められていて、無意識的にこの区域に人が近づけないようにするための暗示をかけるのである。
もっとも、大抵の能力者はこれ程度の暗示には掛からないため効用はないが。
「じゃあ、いよいよ突入ね」
「よしっ、まかせろ」
 楓はまた緑の翼を広げると、
「緑翼の雨(イーグル・ダスト)!」
 と叫んだ。広げた翼の羽の一枚一枚が雨のように目の前の壁にぶつかる。緑色の軌跡が重なり幾筋ものレーザー光にも見える。
音もなく、まるで紙が雨に濡れて破けるような感じで目の前の壁に亀裂ができた。その中は暗く、無数の羽の燐光をもってしても見通せないが、かなり広いようであった。一体全体この二つの部室の間にどれだけの空間があるかと思うかもしれないが、実際この中はすでに別空間であり、この亀裂はあくまでこの世界との接点でしかない。
「先に行って」
 緑の雨が止むと、楓は翼を畳み後ろにいる雫に声をかけた。
「あぁ」
 雫はそう答えると、目の前に拡がる暗闇に足を踏み入れた。


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