[プロローグ]
 彼は目の前にいる物について、我が目を疑った。いつも通りの気だるげな朝、いつも通りの通いなれた通学路。そんないつもの見慣れた日常をしかし、それは否定していた。いや、見慣れた交差点だからこそ反ってその異質さは強調されていた。彼も決してファンタスティックな物語を読まないわけではなかったが、それでもそれらの登場人物が彼の現実世界を侵食するほどでもない筈だった。しかし、現になんど目を擦ってもそれはまるで一寸の揺らぎもなくそこに存在していた。空色の丸いボディに蟹の鋏のような腕が両側についていて、真ん中には丸い穴が開いているそれは無機質な存在だったが、不思議と彼にはそれに意思があるように感じられた。しかし、一番にその存在を異質たら占めているのはそれが宙に浮いていることであろう。飛んでいるわけでもなく、そこに存在するのが当たり前のように只々浮いているのである。何かのテレビの小道具だろうかと彼は自然と考えていた。だとすれば、今頃きっとどこかで悪趣味なビデオカメラが彼の驚く顔を今か今かと待ち構えているのだろう。なら、絶対に驚いてやるものかと彼の意地は思った。その時、その物体はまるで彼の視線を感じたかのように、彼にその真ん中の穴をゆっくりと向けた。もし、その穴がソレの目なのであれば、正に目があった状態なのであろう。イタズラテレビなら間違いなくその穴の中にカメラが仕掛けてあるだろう。しかし、彼は不覚にもソレに恐怖を覚えてしまった。一瞬その、暗い穴の中にまるで人間のドロドロとした黒い感情が詰まっているのを垣間見てしまったのだ。本能の命令するままに逃げ出そうとした彼であったが、しかし、体は予期せぬ危険信号に動けなかった。本能的な恐怖を前に、このまま、成すがままに殺される、いや喰われると彼はぼんやりとそう思った。次に一瞬、しかし、ソレは彼への関心が薄れてしまったかのように唐突に消えた。まるで、最初からそこには何にも存在していなかったかのようにただひと欠片も痕跡を残すことなく。あとには、まだ生まれて初めて感じた本能的な命の危険に全身に汗を掻いている彼が残されただけだった。

 それが彼とソレいや、ソレらのファーストコンタクトとも言える出会いだった。


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